アーキテクトビルダーとは?
2018年04月02日 |
●家づくりの疑問
モデルハウス Sukura大平台
設計施工する工務店のことをアーキテクトビルダーと呼んでいます。
入政建築の創業は、大正10年頃です。僕の曽祖父が創業者になります。いわゆる家業です。
現在の社長は、僕の父になり3代目になります。
曽祖父、祖父は、大工として活躍していました。今でいう施工者です。大工技術でご飯を食べていました。地域にも大工さんが少なく、地域の仕事ばかりしていました。お客さんの山の木を構造材につかって、現場で加工をし、軸組をつくっていく。究極の地産地消です。
家をつくる、屋台をつくる、神社をつくる、なにか木で構成されるものは、なんでも仕事としてこなしてきました。
父親の代になり、世間の状況は少しずつ変化していきます。ハウスメーカーの乱立により、地域の仕事が少しずつ、減っていきました(情報網の進化によって、お客さんの選ぶ幅が以前より広くなったのも大事な要素です。)。「施工者としてだけでは、生きていけない。」そんな想いが父にもあったと思います。そこで、設計施工する工務店として、平成2年に「(有)入政建築」として再始動しました。
設計施工と、簡単に言いますが、なかなか難しいのです。
施工面は、今までと大きく変わらず、丁寧な仕事にこだわりをもってやることは変わりません。問題は設計です。設計というのは非常に奥が深い。うちの父と僕も大変苦労してきました。
設計って、なんでもありの世界です。
こうやったら、暮らしが楽しくなるな。ここにこれがあったら楽なのにな。玄関は、このくらい広くなくっちゃ。
果たして、それがいい家なのでしょうか。価値の物差しがないと、いいか悪いかの判断がつかないですよね。ある意味設計とは、この物差しに支配されているものだと思うのです。
そこで、僕たちはいろいろな価値観に触れてきました。名だたる建築家の図面を見たり、空間を体験したり、、それを普段の仕事で生かしていこうと苦慮していました。
こんなことを考えていた時、もくよう連のイベントに参加しました。そこで僕は、ビビットきたのです。そのときの、ブログ記事をそのまま転写します。
今回、モデルの話が上がった時にうちだけの設計で進めるのか。非常に迷いました。
今までと同じことを同じようにやるという選択肢もありました。
しかし、このモデルではそれはしたくない。
新しい「入政建築」を示さなくてはならない!
そんなある日、秋山先生の設計した山梨の別荘を見る機会がありました。
衝撃でした。。。
なんだ、この感覚。なんかおもちゃのように建築がなりたっている。(この表現はいいのか・・・)
こんなものづくりをしていきたい!
そして、この楽しさをみなさんに伝えたい!強く思いました。
そんなことで、秋山先生と共同で設計をしていくことになったのです。

4M×12Mの細長い小さな山荘

赤い木製サッシと風化していく木の外壁
以前から、秋山先生を秋山設計道場でしっていたのですが、秋山先生の物差しが十分に理解できていなかった。この小さな山荘を目でみたとき、これでやりたい!と強い想いが心の奥底から湧いてきました。
その後、いりまさモデル「Sukura」の設計を一緒になってやっていただきました。いろんな問題がでるたび、相談し解決をしていく中で、秋山先生の趣向が少しずつ見えてきました。僕自身も物差しができていくのを感じました。
物の構成の仕方、つくり方、ブリコラージュの精神・・・・秋山先生の趣向が、僕の物差しを決めてくれました。
その後は、この物差しに従って、設計をしていけばいいんだという自信にもつながりました。
この物差しと、以前から磨いてきた技術がマッチすることが、アーキテクトビルダーの基本ではないでしょうか。平成2年にスタートし、ようやくアーキテクトビルダーの基本に今到達したと感じています。
今後は、アーキテクトビルダーとして今ある基本をさらに昇華させ、もっと多くの方にこの価値をご提供することが一つの使命だと思っています。
設計/新野恵一
入政建築の創業は、大正10年頃です。僕の曽祖父が創業者になります。いわゆる家業です。
現在の社長は、僕の父になり3代目になります。
曽祖父、祖父は、大工として活躍していました。今でいう施工者です。大工技術でご飯を食べていました。地域にも大工さんが少なく、地域の仕事ばかりしていました。お客さんの山の木を構造材につかって、現場で加工をし、軸組をつくっていく。究極の地産地消です。
家をつくる、屋台をつくる、神社をつくる、なにか木で構成されるものは、なんでも仕事としてこなしてきました。
父親の代になり、世間の状況は少しずつ変化していきます。ハウスメーカーの乱立により、地域の仕事が少しずつ、減っていきました(情報網の進化によって、お客さんの選ぶ幅が以前より広くなったのも大事な要素です。)。「施工者としてだけでは、生きていけない。」そんな想いが父にもあったと思います。そこで、設計施工する工務店として、平成2年に「(有)入政建築」として再始動しました。
設計施工と、簡単に言いますが、なかなか難しいのです。
施工面は、今までと大きく変わらず、丁寧な仕事にこだわりをもってやることは変わりません。問題は設計です。設計というのは非常に奥が深い。うちの父と僕も大変苦労してきました。
設計って、なんでもありの世界です。
こうやったら、暮らしが楽しくなるな。ここにこれがあったら楽なのにな。玄関は、このくらい広くなくっちゃ。
果たして、それがいい家なのでしょうか。価値の物差しがないと、いいか悪いかの判断がつかないですよね。ある意味設計とは、この物差しに支配されているものだと思うのです。
そこで、僕たちはいろいろな価値観に触れてきました。名だたる建築家の図面を見たり、空間を体験したり、、それを普段の仕事で生かしていこうと苦慮していました。
こんなことを考えていた時、もくよう連のイベントに参加しました。そこで僕は、ビビットきたのです。そのときの、ブログ記事をそのまま転写します。
今回、モデルの話が上がった時にうちだけの設計で進めるのか。非常に迷いました。
今までと同じことを同じようにやるという選択肢もありました。
しかし、このモデルではそれはしたくない。
新しい「入政建築」を示さなくてはならない!
そんなある日、秋山先生の設計した山梨の別荘を見る機会がありました。
衝撃でした。。。
なんだ、この感覚。なんかおもちゃのように建築がなりたっている。(この表現はいいのか・・・)
こんなものづくりをしていきたい!
そして、この楽しさをみなさんに伝えたい!強く思いました。
そんなことで、秋山先生と共同で設計をしていくことになったのです。

4M×12Mの細長い小さな山荘

赤い木製サッシと風化していく木の外壁
以前から、秋山先生を秋山設計道場でしっていたのですが、秋山先生の物差しが十分に理解できていなかった。この小さな山荘を目でみたとき、これでやりたい!と強い想いが心の奥底から湧いてきました。
その後、いりまさモデル「Sukura」の設計を一緒になってやっていただきました。いろんな問題がでるたび、相談し解決をしていく中で、秋山先生の趣向が少しずつ見えてきました。僕自身も物差しができていくのを感じました。
物の構成の仕方、つくり方、ブリコラージュの精神・・・・秋山先生の趣向が、僕の物差しを決めてくれました。
その後は、この物差しに従って、設計をしていけばいいんだという自信にもつながりました。
この物差しと、以前から磨いてきた技術がマッチすることが、アーキテクトビルダーの基本ではないでしょうか。平成2年にスタートし、ようやくアーキテクトビルダーの基本に今到達したと感じています。
今後は、アーキテクトビルダーとして今ある基本をさらに昇華させ、もっと多くの方にこの価値をご提供することが一つの使命だと思っています。
設計/新野恵一
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